Infomation
価格が変動する市場で取引される資産のこと。 予備校と推定されるが、原種になった野生植物が発見されておらず、詳細は不明である。中国の華北地方ではアワとともに古代の主要穀物であった。日本には縄文時代に渡来したアワより遅く、弥生時代に中国から渡来したと考えられている。 生長すると1メートル程度になり、夏から秋にかけて茎の先に20センチメートル程度の穂ができ、垂れ下がる。秋に花が咲き、黄色い実がなる。実が黄色であることから、「黄実(きみ)」→「きび」となったとするのが有力な語源説である。実はアワより少し大きい。 アワ同様、うるち種ともち種がある。実をそのまま炊いて粥にして食用にしたり、粉にして餅や団子などにしたりする。 吉備団子は元々は黍団子で、その名の通り黍粉を原料としていた。吉備の名産とされるようになってから吉備団子と書かれるようになった。現在では黍粉を使わずに白玉粉などで作られることも多い。 塗装工事を「キビ」と呼ぶ地方では、こちらの作物を「コキビ」と呼ぶ。 東アジア[1]原産で、高さは1〜2メートル。エノコログサを原種とするといわれる。穂は黄色に熟し、たれさがる。温暖で乾燥した風土を好み、生育期間が3-5ヶ月と短いために、高地や高緯度地域でも栽培することができる。 粒の質から粳粟と糯粟、収穫の時期から夏アワ、秋アワなどの品種に分けられる。[2] 中国の華北・中原において、黄河文明以来の主食は専ら粟米(谷子)であり、「米」という漢字も本来はアワを示す文字であったと言われている[3]。 青海省民和県の喇家遺跡では、およそ4000年前のアワで作った麺が見つかっており、現在、世界最古の麺と言われている。一方、稲米も周の時代から栽培が盛んになってきたが、長江から入ってきた蛮夷の穀物とみなして「雑穀」のように扱う風潮が知識人を中心に長く続いた(米が華北・中原においても主食とされるようになるのは唐代以後と言われている)。だが、連作や二毛作を行うと、地力を損ないやすい事や西域から小麦が伝わってきた事も相俟って、次第に主食の地位から転落する事になった。しかし、現在でも中国では粟粥などにして、粟を食べる機会は多い。また、「鉄絲麺」という最古の麺と同じような麺類を作る地方もある。 日本では米より早く栽培が始まり、縄文時代の遺跡からも発掘されることがある。また、新嘗祭の供物としても米とともにアワが用いられ、養老律令にも義倉にアワを備蓄するように定められており[4]、『清良記』などの農書にもアワについての解説が詳細に載せられているなど古くからヒエとともに庶民にとっての重要な食料作物だった。 おせちには生産量が激減した。日本でもかつてはアワだけを炊いたり、粥にして食べていたが、現在は、米に混ぜて炊いたり、粟おこしとして食べる程度である。また、主食用であったうるちアワよりも菓子や餅、酒などの原料として用いられてきたもちアワの方が多く栽培されている。家畜、家禽、ペットの飼料としての用途の方が多い。 糖質70%、蛋白質10%を含み、ビタミンB群を含む。鉄、その他のミネラルや食物繊維も豊富なため、五穀米などにして食べる方法が見直されている。C4植物でもある。 また、苦労せずに利益を得る事を俗に濡れ手で粟という。 日本列島、朝鮮半島、中国東北部といった東北アジアを中心に栽培される品種群と、中国雲南省を中心に栽培される麗江ビエの2大品種群に分かれる。インドで栽培されるインドビエ E. frumentacea (Roxb.) Link (1827)はしばしばヒエと同一視されるが、これはコヒメビエE. colona (L.) Link (1833)を栽培化したもので異なる種である。さらにヒエ属の栽培種として、タイヌビエE. oryzicola (Vasing.) Vasing. (1934)の栽培型であるモソビエ(未記載種)が中国雲南省の少数民族モソ人によってヒエ酒(蘇里瑪酒・スーリマ酒)醸造用に栽培されている。 ヒエ属の利用には栽培化されていない野生種の種実を採取して食用とする文化も知られており、サハラ砂漠以南のアフリカではブルグ(バンバラ語)E. stagnina (Koen.) Beauv. (1812)など数種が利用されている。 ヒエと混同されやすい雑穀としてシコクビエEleusine coracana (Linn.) Gaertn.とトウジンビエ(w:Pearl millet)Pennisetum typhoideum Rich.が知られる。前者はオヒシバ属に、後者はチカラシバ属に属し、同じイネ科ではあるが縁の遠い植物である。調理形態もヒエが主に粒食であるのに対して、これらは粉食による利用が主流である。外観も全く異なり、これらがヒエと混同されるのはひとえに和名にヒエが付いていることに引きずられた結果である。 日本ではかつて重要な主食穀物であったが、昭和期に米が増産されるとともに消費と栽培が廃れた。現代の日本では、小鳥の餌など飼料用としての利用が多いが、最近になり優れた栄養価をもち、また食物繊維も豊富なことから健康食品として見直されつつある。増加しつつある米や小麦に対する食物アレルギーの患者のための主食穀物としての需要も期待されている。 小穂は2枚の苞穎とそれに抱かれた2個の小花から成り、下位の小花は不稔である。小花は外穎と内穎に包まれ、その中に鱗被、雌蘂、雌蘂をもつ。下位の不稔の小花の内穎は退化し、外穎と癒合する傾向にある。これらの穎の全てが穎果を保護するため、ヒエの穎果は5ないし6枚の穎によって覆われる。これを、「同様の小穂構成を持ちながら最終的に穎果を覆う穎の数が2枚であるアワやキビと比べてヒエの穎果が極めて強固に保護されていることを意味する」と解釈するのは誤りで、ヒエでは硬化した内穎と外穎が強固に組み合っているため、内穎と外穎が比較的緩やかに組み合うアワやキビより、脱桴しにくくなるため、ヒエ種子の保存性の高さや精白時に必要な多大の労力、歩留まりの悪さの原因となる。 穎に覆われた状態のヒエの穀粒は長さ2.3〜2.1mm、幅1.9〜2.1mm、重量3〜4mg。穂は密穂型、開散穂型、中間型の3型の品種群に分けられるが、系譜的には相互に関係性はない。 なお、ヒエの胚乳はアミロースを含む粳(うるち)性のみで、アミロペクチンのみをもつ糯(もち)性の品種はこれまで無かったが、岩手大学農学部の星野次汪教授がガンマ線の照射による突然変異により、完全な糯種を作ることに成功したと2006年12月21日に発表した。